あの日、あの時・・・
現実にあった歴史。 1989年6月4日に起きた天安門事件。 人民解放軍という名前の軍隊がその人民に銃口を向けた日。
何年か毎、時には十年以上間が開くこともあるのだけれど、必ず訪れたくなる場所があります。 神保町から駿河台下、お茶の水駅にかけてのいわゆる学生街です。 自分が通っていた大学は、都営新宿線神保町駅から都営三田線に乗り換えなくてはならなかったので…
数ヶ月前、長野ツーリングをプランニングしている時、Googleマップで偶然見つけた小さな、けれどとても貴重な美術館です。 展示内容はタイトルの通りです。 内部は撮影禁止ですが、終戦後に完成させようとしていた未完の作品も展示されています。 自画像も何…
景徳院は中央線甲斐大和駅から2.3kmの距離にある、徳川家康が建立したお寺です。 この山門が、県指定有形文化財となっています。 ここに、武田勝頼と北条夫人、嫡男の信勝の墓があります。 ここは、甲将殿。 武田家の家紋割菱がお賽銭箱に付けられています。…
前置きが少し長くなります。 武田信玄率いる武田家滅亡のカウントダウンは、信玄が諏訪家を滅ぼした時から始まっていました。 諏訪家を滅ぼした信玄は、諏訪家の諏訪御料人を側室に迎え、生まれた子供が武田勝頼、信玄の四男でした。 勝頼は当初高遠城を治め…
きっかけはGoogleマップでした。 大菩薩ラインを走る計画を立てている時、前回と同じフルーツラインからのアプローチでは面白くないと思い、少し手前にある大菩薩初鹿野線のルートを辿っていた時、日川近辺に古戦場や戦国時代の史跡が多いことに気付きました…
1966年に起きた英国海外航空(BOAC)の墜落事故慰霊碑が、御殿場口新五合目に登る途中にあります。 今回は御殿場口に行った後に訪問しました。 空の安全は、やはり多くの犠牲の上に成り立っていることを痛感します。 ja.wikipedia.org 今回のツーリングで、ど…
1989年6月4日。 この広場で起きた事。 日本では検索できるんだよ「天安門事件」て。 絶対忘れないからな。
びりゅう館は、この辺りの道の駅の様な施設です。 地場産農産物や、食堂も併設されています。 biryukan.com ここに寄ったのは、B29に搭載されていた250kg爆弾が展示されているからです。 ※説明に詳細が記載されていませんが、どうやらこの爆弾は撃墜されたB2…
終戦まで、あと半年に迫った1945年2月、本土空襲に来たB29に体当たりをして撃墜した廣瀬大尉(当時は少尉)の由緒碑が、ここ山梨県上野原市にあります。 場所は平野田休養村キャンプ場のすぐ隣りです。 この表示を頼りに坂を登り、小さな流れを渡り、竹林の下…
普通なら、ここは素通りする場所なのかも知れません。 しかし、どうしてもここに来たかった理由がありました。 2010年7月15日、本田エアポートを飛び立った埼玉県防災航空隊の「あらかわ1」が、救助活動中に墜落し、5名の尊い命が失われてしまいました。 そ…
今回の東京湾岸ツーリングで、一番印象に残った場所がここでした。 展示館の外観もさることながら、一歩中に足を踏み入れた時の第五福竜丸の圧倒的な存在感に圧倒されます。 それは、第五福竜丸が予想外に大きかったからと言うより、船体塗装の朽ち方や、こ…
「太平洋戦争末期(昭和20年)の米軍艦載機の機銃掃射による銃撃痕と思われます」 ここはJR高尾駅の2番線ホーム。 こちらにも・・・。 hiro2003t.hatenablog.com 同じ日なのか? 決して繰り返してはいけない歴史。 いつまでも、残さなければいけない傷跡。
かなり大雑把な勘定ですが、今まで何回飛行機に乗ったのか数えてみました。 ほぼこの20年間に乗っているのですが、大体400回から500回の間だと思います。 乗っていて怖い思いをしたことは数え切れませんが、今尚こうして普段と変わらず生活していられるのは…
先週のバイクツーリングで最後に訪問した場所。 「よしみひゃくあな」とルビがふってありましたが。 昔の共同墓地です。 今で言う多摩霊園の様な場所でしょうか。 一度来ればいいかな・・・という感じ。 でも、 ここもか。 内部には入れませんが、侮れない規…
最大瞬間風速が18.2m/s(熊谷)だった土曜日。 バイクも煽られて、簡単に車線の半分くらい飛ばされていた強風でした。 そのせいかどうかは不明ですが、ホンダエアポートから飛び立つ飛行機も少なく・・・。 このホンダエアポートは、元々前回エントリーした桶…
この施設は、元々熊谷陸軍飛行学校桶川分教場として1937年に竣工し、終戦間際の1945年2月まで使用されていたものです。 しかし戦況の悪化から、その後は特攻隊の訓練施設として使用され、そして終戦を迎えます。 祈念館は、桶川市が極力当時の施設を再現する…
前回のエントリーの続きです。 朝焼けの中、TREK 8.3DSで立川GREEN SPRINGSを抜けて・・・。 と思いましたが、ここで綺麗な朝焼けが。 ガラスに反射したオレンジ色が印象的でした。 その後、玉川上水に向かったのは、ここを訪れたかったからです。 hiro2003t…
1945年8月。 終戦直後にはもうひとつの悲劇がありました。 多摩川サイクリングロードを走る人は、必ず目にしていると思います。 ※場所と詳細は下の写真を参照して下さい。写真はクリックで拡大します。 直接的にも、間接的にも、戦争のもたらす悲劇を数えた…
もう直ぐ終戦記念日ですが、75年前の8月5日を振り返ってみます。 1945年の8月5日です。 終戦間近のこの日、中央線浅川駅(現在の高尾駅)を出発し長野に向かっていた下り419列車は、湯の花トンネルに差し掛かったところでアメリカ軍の機銃掃射を受けてしまいま…
きっと何年かしたら負の歴史として教科書に載り、主導した指導者が戦犯となる事を祈って止みません。 今も変わっていない「彼国(かのくに)」の特権階級による保身政治。 Googleで「天安門事件」と検索できる日本に生まれてよかった。 写真は夕暮れの天安門広…
ガンバレ香港 !! 応援しているぞ !!
30年前の今日。 北京・天安門広場であったこと。 風化させてはならないこと。 今日は、コメント無しです。
京王線八王子駅の少し北側に、浅川にかかる大和田橋があります。 周りの景色はのどかで、有名なホテルも視界に入ります。 しかし、この橋は普通の橋ではありません。 戦争の傷跡を今も残す貴重な負の遺産でもあります。 昭和20年8月2日未明。 その時八王子は…
今年は台風の猛威に晒されることが多かったですね・・・。 「根こそぎ」という言葉は、普段あまり使う機会が無いのだけれど、この景色を見ると、「根こそぎ」流された樹木が点在していることが分かります。 このフレームの外にも、たくさんの傷跡がありまし…
意外と知らない人も多いと思います。 第二次世界大戦末期、この兼松講堂は中島飛行機の部品製造工場になっていました。 前後して、多くの学生が学徒動員と呼ばれる徴兵制度で招集されています。 表通りの桜とは裏腹の、悲しい歴史です。
掩体壕(えんたいごう)は、簡単に言うと戦闘機の防空壕。 白糸台掩体壕 東京都府中市ホームページ 当時、調布飛行場から近いこの場所に、貴重な戦闘機をかくまっていました。 空襲警報が鳴ると、スクランブル発進・・・。 今と何か違いますか? 領空侵犯を繰り…
ここを訪れた時も、本当にのどかな週末でした。 しかしあの日、ここは戦場でした。 www.soumu.go.jp 失われた42人の命、そしてその中に32人の子供達の命。 これが、戦争です。
ここ、ご存知ですか? ja.wikipedia.org 今朝、ここを撮影した時は、本当にのどかな公園の一角という感じでした。 鳥の鳴き声、子供達の遊ぶ声・・・。 でもあの日、あの時ここは戦場だった。 機銃掃射の弾痕は、今でも生々しく残っています。
忘れてはいけない日。 「中共との記憶戦争だ」 天安門事件の2019年の記憶遺産申請目指す被害者 (産経新聞) - Yahoo!ニュース