何年か毎、時には十年以上間が開くこともあるのだけれど、必ず訪れたくなる場所があります。
神保町から駿河台下、お茶の水駅にかけてのいわゆる学生街です。
自分が通っていた大学は、都営新宿線神保町駅から都営三田線に乗り換えなくてはならなかったのですが、その乗り換え駅に途中下車することも多く、この界隈はよく歩き回っていました。
今日(12/24)、この界隈を歩いて来ました。
当時は今と違って活字中毒だったので、この古本屋街にはよく通いました。
この矢口書店横の陳列棚は、店主に気兼ねすることなくゆっくりと本を眺められたので、好きな場所のひとつでした。
今もまだ、こうやって眺められるのは嬉しいことです。
この古本屋街は、自分の血や肉の一部をを作ってくれた場所でもあります。
ここは、神保町の交差点。
このキムラヤは昔から有りました。
何のお店だろうと思っていましたが、靖国通りの北側へ行くことは稀だったので、未だに入ったことはありません(笑)
理工学部の学生だった自分にとって、この明倫館書店はとてもありがたい存在でした。
この看板にもある様に、自然科学系の専門店です。
時には、大学の教科書に指定されている書籍も安く購入できます。
※但しこの分野は日進月歩なので、古い本の内容が必ずしも現代に通用するとは限りませんから注意が必要です。
喫茶「さぼうる」。
多分数回は入ったことあると思うのだけれど・・・あまり記憶にないです。
今日、訪問した時は長蛇の列になっていました。
なぜ ?
ここは、神田すずらん通り。
レンガ敷きの綺麗な道になっています。
自分が学生だった1980年頃は、こんなに綺麗な道では有りませんでした。
時代は・・・色々な変化を生み出しています。
でも、やっぱり寂しい。
よく通ったキッチン南海の跡地は建て替えられようとしていました。
自分の記憶を消される様で、やっぱり寂しいです。
因みに、当時カツカレーはキッチン南海と決めていましたが、普通のカレーは新宿駅西口地下のイマサが定番でした。
入り口で注文をすると、ウェイトレスが奥の厨房に「チキンで〜す!!」、「ジャーマンで〜す!!」と大声で伝えていたのが印象的でした。
ついでに立ち食いそばは「梅もと」が定番でした。
駿河台下の交差点から、靖国通りの東側にはスポーツ用品店が並んでいます。
当時の主流はスキーでしたが、それはお金持ちの娯楽だと思っていたので(悲)、この辺りはスルーしていたと思います。
お茶の水駅から駿河台下にかけての、明大通りには楽器屋さんがいくつか。
石橋、下倉、黒澤・・・。
当時、ギターを弾いて少しお金をもらっていこともあったので、この界隈にはよく行きました。
最後はニコライ堂です。
大学の授業が終わってから、今日紹介した神保町からのルートを歩いた後、新お茶の水駅から地下鉄千代田線に乗って、千葉県某所で学習塾の講師(算数/数学)をしていました。
帰りは、いつも京王線新宿駅発の終電でした。
こうして、とても稀なのだけれど・・・セント・エルモス・ファイアーの日々を思い出して、自分を作っている要素のひとつひとつを時々反芻しています。