東京写真部

(旧 上海写真部)

裏道志みちに残る悲しい伝説を尋ねて(2) 雛鶴姫と雛鶴神社

先週から、GWの初日(4/27)に渋滞の無い場所にツーリングに行こうと計画していて、裏道志みち辺りをGoogleマップで調べていました。

すると、この裏道志みち(県道35号 四日市場上野原線)には雛鶴という名前が多いことに気付きます。

調べてみると、雛鶴は後醍醐天皇の皇子護良親王の妃、雛鶴姫の事で、現代では考えられないような苦難の後に、この上野原市秋山で亡くなっていたのでした。

この道で最初に出会う雛鶴は上の写真、「雛鶴姫の記」です。

※この写真は「雛鶴姫の記」の裏側を写しているので「雛鶴峠」という歌の歌詞が彫られていました。

 

 

そして、その雛鶴姫を弔うために建立されたのが雛鶴神社です。

「雛鶴姫の記」から数百メートルしか離れていません。

朱塗りの橋が目印になっているので、すぐに分かりました。

なかなか立派な社ですが、それよりもこの場の凛とした雰囲気に心が洗われます。

※ここへ来て分かったのですが、以前この裏道志みち(県道35号 四日市場上野原線)を走った時に桜が綺麗に咲いていて、一瞬止まろうかどうか迷ったのここだったような・・・。

 

雛鶴姫の像です。

Googleマップで写真を追っていくと、もっと汚れていた時期もありましたから、地元の人たちによって丁寧に保存されているのでしょうね。

 

実は、雛鶴神社はこの裏道志みち(県道35号 四日市場上野原線)沿いの都留市にもう一箇所あります。

そちらには「雛鶴姫之墓」があるようですが、アプローチがダートで、前を通った時にちょうど雨が本降りになった時だったので、今回は訪問を見送りました。

 

次は、護良親王の首級が祀られているという石船神社を訪問します。