終戦まで、あと半年に迫った1945年2月、本土空襲に来たB29に体当たりをして撃墜した廣瀬大尉(当時は少尉)の由緒碑が、ここ山梨県上野原市にあります。
場所は平野田休養村キャンプ場のすぐ隣りです。
この表示を頼りに坂を登り、小さな流れを渡り、竹林の下を抜けたところに、この碑があります。
この撃墜に関する背景が、この碑に刻まれていました。
要約すると、
昭和二十年二月十九日、B29 152機が本土空襲のためにサイパンを飛び立った。
丹沢上空で待ち構えていた廣瀬少尉と、複座に座る加藤伍長の眼下に、富士山方向からB29の編隊が現れ、第一編隊12機のうち一機を撃墜。
その時点でふたりの乗る戦闘機「屠龍」は満身創痍。弾丸を打ち尽くし、エンジンからは白煙を上げていた。
しかし、続けて第二編隊8機が現れ、ここで廣瀬少尉は複座に座る加藤伍長を脱出させ、自分は自らB29に体当たりし、この近辺に墜落したと記されています。
※廣瀬少尉は、この功績から二階級特進し大尉となっています。
この時廣瀬少尉は21歳。
この史実を知った時、この人には日本の未来が見えていたのではないかと思いました。
自分はB29に体当たりを、しかし加藤伍長には敗戦後の日本の復興を任せたのではないかと。
若干21歳の若者が、自らの命を犠牲にして日本の未来を案じていたことに驚くのと同時に、歴史に何も学ばない隣国の独裁者の最近の蛮行に強い憤りを感じました。