今回のツーリングは終戦間際の混沌とした状況の中で、この上野原市がどういう状況であったのか、とても興味があったので来てみました。
およそ戦争とは無縁、強いて言えば疎開先にもなりそうなイメージで捉えていたこの地に、こんな史実があったのには驚かされました。
願わくば、この平和がいつまでも続いて欲しいと願うばかりです。
この後、奥多摩湖を経由して帰宅しました。
今回の旅はこれで終わります。
今回のツーリングは終戦間際の混沌とした状況の中で、この上野原市がどういう状況であったのか、とても興味があったので来てみました。
およそ戦争とは無縁、強いて言えば疎開先にもなりそうなイメージで捉えていたこの地に、こんな史実があったのには驚かされました。
願わくば、この平和がいつまでも続いて欲しいと願うばかりです。
この後、奥多摩湖を経由して帰宅しました。
今回の旅はこれで終わります。
びりゅう館は、この辺りの道の駅の様な施設です。
地場産農産物や、食堂も併設されています。
ここに寄ったのは、B29に搭載されていた250kg爆弾が展示されているからです。
※説明に詳細が記載されていませんが、どうやらこの爆弾は撃墜されたB29に積まれていたものではないかと思います。
爆弾は不発弾で旧日本軍により処理されているため、ご覧の様な形となっています。
こんな長閑な田舎町には全く似つかわしくない展示だと思います。
しかし、前出の廣瀬大尉のエントリーで説明した様に、この辺りは富士山を目指して飛んで来たB29の通り道にもなっていました。
この光景を見ていると、今の平和は多くの犠牲の上に成り立っている事がよく分かります。
終戦まで、あと半年に迫った1945年2月、本土空襲に来たB29に体当たりをして撃墜した廣瀬大尉(当時は少尉)の由緒碑が、ここ山梨県上野原市にあります。
場所は平野田休養村キャンプ場のすぐ隣りです。
この表示を頼りに坂を登り、小さな流れを渡り、竹林の下を抜けたところに、この碑があります。
この撃墜に関する背景が、この碑に刻まれていました。
要約すると、
昭和二十年二月十九日、B29 152機が本土空襲のためにサイパンを飛び立った。
丹沢上空で待ち構えていた廣瀬少尉と、複座に座る加藤伍長の眼下に、富士山方向からB29の編隊が現れ、第一編隊12機のうち一機を撃墜。
その時点でふたりの乗る戦闘機「屠龍」は満身創痍。弾丸を打ち尽くし、エンジンからは白煙を上げていた。
しかし、続けて第二編隊8機が現れ、ここで廣瀬少尉は複座に座る加藤伍長を脱出させ、自分は自らB29に体当たりし、この近辺に墜落したと記されています。
※廣瀬少尉は、この功績から二階級特進し大尉となっています。
続きを読む
この2年間、中止となっていた大國魂神社のくらやみ祭りですが、今年も神輿渡御など主だった行事は中止の様です。
しかし、露天の営業はあるようで、お祭りの雰囲気が帰って来ます。
この写真は、昨日(5/2)の早朝に自転車で徘徊していた時に撮りました。
露天の準備が始まっていました。
少しずつ、通常の生活に戻りつつあります。
少しずつですが。
今年は5月7日まで、澤井川の上を約200匹の鯉のぼりが泳いでいます。
これ、狙って行ったのでは無く、和田峠から佐野川上野原線を下って来たときに偶然見つけました。
場所は、ちょうど"Jazz Brewing Fujino"というクラフトビールのお店の前辺りです。
とにかく絶景ですので、ツーリングで行かれてみてはいかがですか?