「アンネの日記」は知っていても、実際にアンネ・フランクが隠れ住んだ家がどこにあるか、知っている人は少ないかも知れませんね。
答えはオランダ、アムステルダムです。
数年前、オランダを旅した時に観光地のひとつとして訪れて、想いも寄らず胸を締め付けられた事を思い出します。
「アンネの日記」を少女向けの読み物と思っていた先入観が、完全に覆されました。
その家に行ってみると分かるのですが、目の前に西教会がそびえていて、定刻に鐘の音が聞こえます。
わずか14歳のアンネがどんな思いで、この鐘の音を聞いていたのでしょうか?
それでも神を信じていたのでしょうか?
そんな想いを思い出させてくれたのが、上海ユダヤ難民紀念館です。
上の写真は、ユダヤ人迫害の歴史を展示している、紀念館3階にある献花台のレプリカです。
もちろん、アンネ・フランクの写真も展示してあります。
また日本人、杉原千畝の記事もありました。
----以下、ウィキペディアより引用
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。
----引用、ここまで
※また、当時ウィーン中国領事館にいた何鳳山も同様に、上層部の命令に反してオーストリア系ユダヤ人に中国ビザを発給し続けたという記載もあります。
ところが、そうして日本に来た亡命者の全てが、アメリカに行き着けた訳ではなく、当時ビザ不要であった上海に逃れたユダヤ人も少なくなかったようです。
この紀念館は、そうして追われてきたユダヤ人居住区跡に建てられています。
あの時代、あの場所であった事、忘れてはいけない事。
上海ユダヤ難民紀念館で、いろいろな想いが頭の中を駆け巡りました。
願わくば、この上海ユダヤ難民紀念館の、訪問者が絶えないことを祈るばかりです。
※記念館、中国語表記では紀念館になります。